医療と私
ぎゃー 「なんで私を置いて先にいっちゃったのー」 いっぱい泣いた。 泣いている自分に刺激されて泣き声は更に大きくなり、手足をバタバタさせながら大泣きした。 9歳の春の日。 朝起きて居間に入るといつもとは違う気配を感じたし、それは当たっていた。 父が言った。 「おじいちゃんが昨夜亡くなった。お母さんと2人で迎えに行って連れて帰ってきたよ。あっちの部屋で寝ている。」 頭が真っ白になり、次の瞬間に泣き叫んだ。 時間にするとものの3分か5分くらい経った時に、 「そんなに泣くものじゃない。」 と母からたしなめられた。 大袈裟に泣いちゃいけない=泣いちゃいけない。と解釈して涙が引っ込んでしまった。 入院前の祖父は近くに住んでいたので、ちょくちょく遊びに行って可愛がってもらっていた。 入院した時には寂しかったが、我が家で在宅介護をすることになったので一緒に暮らせることになり、指折り数えて待っていた。 私のベットを介護用に使うことになり、祖父の部屋に運び込んだばかりのタイミングでの祖父の死だった。 祖父との忘れられない思い出がある。 小さな村の歯科医院で歯科技工士をしていて腕がよかった。 本来の歯科技工士は歯の詰め物や入れ歯を製作する人だけど、祖父はこっそりと歯科治療もやっていた。 その歯科治療の腕の方も優れていて患者さん達からは喜ばれていた。 今ならちょっとやばい話になっちゃうけど、院長も見て見ぬふりをしてくれていて、そんなことが暗黙で許される時代だったんだと思う。 私も歯科医院の診察台で祖父に治療をしてもらったことがある。 終わった後に、 「おじいちゃんが歯の治療をしたことは、内緒にしておくんだよ。」 と言われた。 治療してもらった嬉しさが吹っ飛び、秘密事ができてしまって複雑な心境になった。 「隠す。隠さなければならいことがある。」 の習癖はこの時からかもしれない。 でも、祖父には感謝の方が大きい。 医療という道を切り開いてくれたのは祖父だ。 祖父の息子の父も医療従事者。 お見合いで結婚した母も医療従事者。 自然な流れで私も医療従事者を仕事に選んだ。 といえば、かっこいいがかなりの葛藤があった。 母からは「歯科医師になるといいよ。」と勧められていたが、なんせ偏差値の点数が大幅に足りない。 看護師になりたかったのではないが、私の学力で手が届く医療従事者が看護師だった。 それでも最終的に私が選んだ。 そして、最愛の夫も医療従事者。