きんぎょの命と共に成長中
きんぎょがにげた 五味太郎さんの絵本はこどもが小さかった時に絵本の世界にぐいぐい引き込まれよく読んだ本の一つ。 きんぎょが水槽から飛び出しあちこちを探検する様子をワクワクして読んだものでした。 いつしか我が家でもきんぎょを飼い始めました。名前は愛情をたっぷり込めて「金ちゃん」。 金ちゃんがのびのびと泳ぐ姿はずっと見ていても飽きることがありませんでした。 ある日、金ちゃんが逃げた!勢いあまって、金魚鉢から飛び出てしまいました。 絵本と違って、金ちゃんは空気の中では息ができない・・・ 金魚鉢の脇で目を白黒させ息も絶え絶えになっている姿を発見した時にはドキドキしました。 急いで水に戻してあげると何事もなかったかのように泳ぎだしました。お見事な蘇生劇。 この後も元気で金ちゃんは7年くらい生きていました。東日本大地震も一緒に乗り越えました。 震度5強もあったので、金魚鉢の水がこぼれてしまいました。 最初に帰宅したこどもが金ちゃんの安否確認をしてくれました。 安全のために引率してくれた先生には玄関で待ってもらいガラスの金魚鉢から安定感のあるバケツに移し変え、水もたっぷりと入れてくれました。 その後、断水でしばらくの間水の供給がなくなったので、ベストな給水タイミングでした。 こどもは金ちゃんの世話をした後、先生と一緒に避難所となっていた小学校に戻りました。 大切な家族の一員でした。 どんなに可愛がっていても、寿命はやってくる。 金ちゃんとの別れは老衰だったと思います。数日前からエサを食べなくなり泳ぐ勢いがなくなり少しずつ弱っていきました。 ホメオパシーのレメディで蘇生を試みたりもしましたが寿命は変えられませんね。死んでしまいました。 泳がなくなった金ちゃんを見ていると、涙がいっぱい出てきて、悲しくてたまらなかった。 いっぱい泣いた後、金ちゃんの肉体をどうしよう・・・ 葬ってあげるいい方法が分からずに布に包んでみたものの段々に腐敗が進み、臭いがキツくなっていきました。 一般ゴミと一緒にするのは心が痛むし・・・ 閃いたのは、川に流すことでした。 週末まで待ち、家族4人で広瀬川の上流に向かいました。 ひと気のない所で川岸まで降りて行けるポイントを探しあちこちチェックしてやっと安心できる場所を見つけました。 水際に近づいて川の水をくみそこに金ちゃんを浮かばせました。その後、水と一緒に川に放ちました。 金ちゃんは静かに、スーと流れていきました。 10年以上経った今でもこども達が言います。「あの時、ママはずっと金ちゃんを見送っていたよね。」 金ちゃんが死んで、一番感傷的になっていたのは私だったようです。 金ちゃんがいなくなった家の中は、ぽっかりと穴が空いているようで元気がでない日々が続きました。 生きものの寿命は人よりは短いので私達よりも先に逝ってしまうことは頭では理解できていても悲しいのは悲しかったです。 家族からは落ち込むから飼うのはやめた方がいいんじゃないと言われましたが、 それでも生きものと一緒に暮らす喜びの方が大きいので次の夏に、縁日で金魚すくいをしました。 2代目の金ちゃんは、数年くらいの寿命。 川に放ってあげたいと思う位の強烈な悲しさはなくなっていて私の中で、生と死の境を受け入れやすくなっていったのだと思う。 そして3代目の金ちゃんを迎え、8年一緒に暮らしました。 先日に死んでしまったのですが今、私の気持ちは穏やかです。 金ちゃんがいなくなってしまった寂しさはあるんだけど余計な悲しみがないんです。 一緒に過ごした日々を軽快に思い出すことができて楽しい思い出ばかりが懐かしく巡るのです。 1代目の金ちゃんが死んだ後ではあーあの時こうすればよかったもっと、こうしておけばよかったと、後悔ばかりが頭に浮かんでしまって心がより苦しくなっていました。 その苦しさを解消したい気持ちもあって2代目を飼い求めていました。 3代目金ちゃんがいなくなった今、次の金ちゃんを飼わなくてもいいかもしれない、と思っています。 もし、飼うことになればそれは枯渇した動機ではなくて金魚が可愛いという、純粋な気持ちだけなんじゃないかな。 今は、「命」というものを受け入れることが私なりにだいぶ上手にできるようになってきています。 父と母の命に触れたりクライアントさんをお見送りさせていただいた中で私の中の何かが昇華できているのかなあと感じています。