叔父の咽頭癌と向き合う手記

胃ろうがとれる日がやってきた!

叔父の咽頭癌と向き合うホメオパスのサポート手記19 叔父のこうきさんは75歳。   高知の村で一人暮らしをしています。   2019年6月に咽頭癌と診断され、8月に手術を受けました。   姪の私が仙台からサポートをしています。 胃ろうがとれる日がやってきた! 「胃ろうがとれることになったので、弥生に言ってくれ」 と、こうきさんからの伝言が届きました。 こうきさんの嬉しそうな笑顔が目に浮かびます。 看護師さんからは 「退院した頃は、こんなに元気になる姿が想像できないくらい弱っていましたよね。 退院してから、1回も胃ろうは使いませんでした。 今ではお腹に肉もついてきて、胃ろうの辺りを圧迫しています。 朝晩、1時間ずつ、散歩をしたり、自転車に乗って遠出もされています。 顔は日焼けして、いい色になっています。」 それを聞いて、本当によかったと思いました。 癌治療は、手術だけを選択しました。 癌のサイズが食事が喉を通らないほどとても大きいものであったため、18時間におよぶ大手術でした。 癌を切り取ると同時に、 咽頭の周りにある器官(声帯、甲状腺、副甲状腺、食道の上の方など)も切除しました。 切除後、腸を切り取って喉に移植し、食道を作りました。 そして、追加の処置として「胃ろう」を設置しました。 胃ろうとは、お腹の外から胃につながる穴を開けます。 チューブを挿入し、動かないように固定します。  それによりチューブを通じて、胃に直接食事を入れることができるようになります。 食事のとれない人が直接胃に栄養を入れる方法です。 鼻からチューブを入れる方法もありますが、胃につなぐこと喉にチューブがないため、口から食べる練習や言語訓練がやりやすくなります。 私は「高齢者の胃ろう」は、一度設置したらそれを外すことは稀だと思っていたので、 こうきさんも同じだと思っていました。 退院する時はガリガリに痩せていて、身長160 で40Kg。 歩くのもやっとでフラフラしていました。 抗癌剤、放射線による治療は受けていないので 体へのダメージを最小限にできたのだと思います。 加えて、こうきさんの「生きる力」の大きさもいい働きになっています。 こうきさんが一人暮らしであることも、今になってみれば、いい方向に働いたのかなと思います。 サポートを受けつつも 身の周りのことを全部自分ですることになるので、 生きることへの、底力のようなものにつながったのではないかと思います。 それは、病院にいて癌で亡くなった私の母には足りない力でした。 どの人も、自分がやりたいように人生を全うできることが一番の幸せだと思います。 こうきさんは、とても幸せに暮らしています。

新型コロナウイルス騒動で、初めて動揺した私

叔父の咽頭癌と向き合うホメオパスのサポート手記17 叔父のこうきさんは75歳。   高知の村で一人暮らしをしています。   2019年6月に咽頭癌と診断され、8月に手術を受けました。   姪の私が仙台からサポートをしています。 新型コロナウイルス騒動で、初めて動揺した私 まさかのびっくり。 「村で新型コロナウイルスの感染者が出ました」 こうきさん担当の訪問看護師さんから電話がありました。 えっ? 人口が3,000人に満たない、過疎化して高齢化がすすんでいる村です。 私の住んでいる仙台市にも感染者はいますが動揺はしませんでした。 ホメオパシーの考え方では、ウイルスは悪くないと知っているからです。 日頃から免疫を上げていれば、空気中にウイルスが飛んでいるとしてもウイルスに感染して発症することはかなり軽減できるからです。 しかし、癌の手術をして1年に満たないこうきさんでは状況が違います。 こうきさんの家には、週2回、看護師さんが訪問してくれていて入浴介助を受けています。 昨日は入浴は中止し、健康チェックなどの観察を行い訪問時間を短縮したそうです。 村の中で感染者が出たので訪問活動をしている看護師さん達が、ウイルスを運ぶ可能性がないとは言えないのが理由だそうです。 今後の対応をどうするかは、慎重に打ち合わせをして決めていくということでした。 お風呂に入れないのは、かわいそう。 だって、こうきさんの楽しみの一つだからです。 一番心配していることは、ウイルスに晒された時のリスクが大きいことです。 咽頭癌を全部切除する手術を受けたので、気管切開しています。 つまり、喉に穴があいています。 塞がっていません。 人は鼻や喉でウイルスをキャッチして、それ以上の体の奥、つまり肺にウイルスが入っていかないような構造になっています。 こうきさんの体は、外気が肺に直結しています。ウイルスを一旦キャッチする「フィルターのようなもの」がないのです。 入浴を介助してもらっているのは穴があきっぱななしなので、入浴中に誤って水が入ってしまったら、肺炎になるからです。 こうきさんは、肺炎のリスクを心配しないといけない人です。 今後も主治医や看護師さん達とも連携をとりながらこうきさんが安心してすごせるサポートを探っていきます。 早速、ある方に相談し、素晴らしいサポートをお願いしました。 こうきさん用の「コロナ対策の予防レメディ」も準備完了! みんなで助け合って行けば、新型コロナウイルスも怖くないですよ。 こうきさんは大丈夫!

癌治療の方針をめぐる葛藤

叔父の咽頭癌と向き合うホメオパスのサポート手記16 叔父のこうきさんは75歳。   高知の村で一人暮らしをしています。   2019年6月に咽頭癌と診断され、8月に手術を受けました。   姪の私が仙台からサポートをしています。 癌治療の方針をめぐる葛藤 叔父のこうきさんのこうきさんは、手術は成功し、今は「命があるだけで幸せ」と思って暮らしています。 いい着地点になったと、心の底から思っています。 実は、咽頭癌と聞いた時にはこのような結果は想像していませんでした。 最初に頭に過ったことを正直にお話すると「手術は受けない方がいい。」でした。 こうきさんから聞いた病気の様子と一般的なことを組み合わせて考えて、そのように思いました。 こうきさんの話では、 「抗癌剤治療は副作用が大変だから・・・」 と、主治医は言葉を濁したそうです。 こうきさんが 「そんなんやったら、受けん」 と言うと、主治医はすんなりと受け入れたそうです。 現代医学が得意としている「抗癌剤治療」を積極的に勧められなかったということは、癌の状態はかなり深刻なのだろうと推測しました。 深刻な末期なら、手術を無理やりして体を切り刻まなくてもいいんじゃないかなあ・・・ 75歳こうきさんの手術を受ける短所は、・体への負担と影響が大きい・手術後の回復に時間がかかる・癌の全てを切除できるとは限らない・臓器を失うことによって、生活の質が大きく下がる・手術中に亡くなるリスクがある・医療費の支払いができるかわからない なにより私の心には、「病院の3大治療は癌を治すことはできない」という考えがあったことも確かです。 極端な考えになりますが、「病院治療は役にたたない場合が多い。自然療法は体に負担にならない」 と、考えていたんです。 こうきさんにはある健康食品を勧めました。 健康食品を試したいことを医師にも伝えて、ある一定期間(例えば、1ヶ月)摂った後は効果を確認し、効果がない場合には医師の勧める治療をうける ということを説明しました。 こうきさんが健康食品をとって、数週間に検査を受けると癌は少し小さくなっていました。 しかし小さくなったのは少しで、かなり大きかった咽頭癌に対して極一部分を小さくしただけでした。 こうきさんは手術を受けることにしました。 ここでの私の気持ちは、「こうきさんが決めた選択だから、それを受容し、応援したい。」が99%。 残りの1%は、「手術をしなかったら、どのような経過になるのだろう?」 主治医と話をする機会ができた時に、手術を受けなかったらどうなるか?を質問しました。 主治医の説明を聞いてみたら、やっと私自身が納得ができました。 自分の胸の内に閉まっておかず、相談してよかったです。 治療を受ける人もサポートする周りの人も、自分の中の迷いをスッキリして欲しいと思います。 日本人の私達は、医師に遠慮して質問できない人が多いですよね。 質問できると、不信感が無くなり病気を治すことに専念ができるようになります。 それが、後々に大きな効果に繋がっていくなあと、実感しています。

癌の治療を乗り越え、幸せに生きる

叔父の咽頭癌と向き合うホメオパスのサポート手記15 叔父のこうきさんは75歳。   高知の村で一人暮らしをしています。   2019年6月に咽頭癌と診断され、8月に手術を受けました。   姪の私が仙台からサポートをしています。 癌の治療を乗り越え、幸せに生きる 咽頭癌の手術を8月にしたおじのこうきさん。 今、とても幸せに生きています! 病気って、こんなにも人を変えるんことができるんだ。 と思いました。 ご飯が食べられなくなり、検査をしたら癌が見つかり、一時期は命も危なかったですが、18時間もかかる大手術を受けた後は、医師も驚くほどの回復をみせました。 1ヶ月で退院はできたものの、すぐに再入院。 高齢の男の一人暮らしでは十分な健康管理ができなかったからです。 病院と私とで何回も打ち合わせをして、転院を決め、転院先の病院で2ヶ月間療養しました。(これが結構大変だったんです。) 自宅に戻り2ヶ月が過ぎました。 咽頭癌になってから今まで、こうきさんに何が起こったのでしょうか? 失ったもの・咽頭の全部・声帯(声が出なくなる)・甲状腺の全部(ある種のホルモンが出なくなる)・体力・食欲 得たもの・命・生きているだけで十分だと思う気持ち 今、心から頼れる先は私だけかもしれません。 それでも、頼れる人がいるってことは、安心感が湧いてくるんじゃないかなと思っています。 仙台と高知で離れてはいますが、サポートし続けて本当に良かったと思っています。 手術前のこうきさんは、やさぐれているところがありました。 定職に就くことなく、煙草と酒が大好きで、酒飲みの友達の何人かはアルコール中毒症で若くして亡くなるほどの大酒飲みで、酒を飲んでは暴れることがあり、祖母が謝って周ることもありました。 暴れん坊だから白い目で見られることもありました。 競艇にもお金を使うから、生活費はギリギリ。 でも、神主として村の神社をお守りする方向に転じてからは 故郷の村に自分の居場所があります。 生きていたい! と思える場所があるんです。 安心できる空間を持っているんです。 これって、すごく大切なことだと思います。 癌治療を乗り越えたからこそ、村の人達から心配してもらったり、声をかけてもらい、たくさんの人に見守られて暮らしています。 こうきさんの記事を書くのが久しぶりになりました。 今後は、手術をしてから半年間の様子をお話していきます。 ぜひ、お付き合いください。 ※こうきさんと私。故郷の浜辺にて(2020年1月20日)

治療は ”医師の意見” 参考にし、自分の意思で選ぶことができます

叔父の咽頭癌と向き合うホメオパスのサポート手記14 叔父のこうきさんは75歳。   高知の村で一人暮らしをしています。   2019年6月に咽頭癌と診断され、8月に手術を受けました。   姪の私が仙台からサポートをしています。 癌の手術についての違和感 叔父のこうきさんは、夏に咽頭癌の手術をしました。 癌が見つかった時に、手術、抗癌剤、放射線での癌治療を医師から勧められました。 こうきさんは抗癌剤と放射線治療に対しては、「絶対に受けない」と決めており、手術については、本当はしたくないけど、でも、手術だけは受けるかなあ。。。と話していました。 私はある健康食品を紹介しました。 会った時に「試してみたい」と言うので、それを試してもらうことにしました。 その時に念押ししたことは、 「主治医にも健康食品をとることを伝えたうえで、1ヶ月使ってみる。効果が得られなければ病院の治療を受けること」です。 健康食品を摂り続けた1週間後、内視鏡で観察した癌は少しよくなっていたそうです。 しかし、その後にも改善し続けることはありませんでした。 そこで、こうきさんは手術を受けると決めました。 代替医療に頼りきらず、命を守るためには正しい選択でした。 高知と仙台で遠く離れていることと、 叔父と姪っ子という遠慮がありました。 それでも、「こうきさんが決めた選択を応援したい」気持ちは強かったです。 でも、正直なところ、 「体への侵襲が大きく、体力が消耗することがわかっているので、できれば手術は受けて欲しくない。」 という思いもありました。 2つの気持ちが私の中にあり、それが心に引っかかっていました。 こんな時はどうしたらいいでしょうか? この小さな違和感を解消できる名案が浮かばなかったので、無理にことを運ばずに保留にしていました。 いつか、必ず、解決できると信じてはいました。 解決できるチャンスが向こうからやってきました。 ある日、解決できるチャンスが向こうからやってきました。 「医師に意見を聞く」機会を得たのです。 第一連絡先に「仙台に住む姪」として私を登録していましたので、主治医から電話がかかってきたのです。 「本当はお会いして説明したかったのですが。遠くてなかなか帰って来られないとお聞きしたので、術前の状態をご説明します」と。 こうきさんは、独り暮らしで独身の75歳です。 ほとんどの親族が遠方に住んでいて、平日の昼間から夜中にかけて行われる長時間の手術に立ち会える人がいませんでした。 病院側としてはかなり困った様子でしたが、仕方ありませんでした。 主治医から説明の半分はこうきさんから聞いていたことと同じでした。 残り半分は、初耳の内容でした。 それは医学的なことで、具体的には初診時の症状・診断と治療方針と予後についてです。 実は、その残り半分が一番大事なところなのです。 こうきさんの場合は、病気の知識が少なく理解できていなかったために、肝心な説明を重要視していませんでした。 私は主治医の説明を聞きながら、医療の知識を持っていて本当によかったと実感しました。 私は咽頭癌の患者さんをみたことがないので、その分野への経験値がないので、 疑問点があれば、経験豊富な医師に質問するのが得策だと考えました。 私の聞きたかったことは、これでした。 「○○先生、手術をしない選択をした場合に予後はどのようになりますか?」 このようこのようなことを医師に聞きづらいと思っている方は結構いますが、私は単刀直入に聞きました。 病院は、治療をする所です。 手術を受けない患者さんを診る機会が少ないために、このような質問を嫌がったり、明確に答えられない医師が多いのです。 主治医は、手術しない場合にたどる予測を丁寧に答えてくれました。 その説明を聞き 「できればこうきさんに手術は受けてほしくない」 という私の気持ちは変わりました。 全力でこうきさんを応援することができるようにりました。 治療は ”医師の意見” 参考にし、自分の意思で選ぶことができます 違和感やモヤモヤ感が残っていると、前に進むことができず、ネガティブな感情に振り回されてしまうことがあります。 具体的に言うと「たられば」に支配されるのです。 どの治療を選んだとしても 「あの時、ああしていたら、こうしていれば」という気持ちが生じます。 やはり疑問点は解消してから治療を開始することをお勧めします。 こうきさんは治療方針を決める際に、姪で医療職の私のアドバイスを受け入れてくれました。 私を信頼してくれたことを嬉しく思っています。 母を看病した時も、母は私の介護や提案を信頼して受け取ってくれました。 それは、私が代替医療に頼り過ぎず、専門家である主治医の「治療方針と意見」を聞いた上での行動が出来たからなのだと思っています。 病院の長所を活かしながら、代替医療のできることをとりいれていくのには、どうすればよいか。 このことを真剣に考え、実行に移してきました。 そこには、私の25年間の保健師としての豊富な臨床経験と6年間のホメオパスとしての経験が蓄積されています。

ふんどしくらい持っているさ

叔父の咽頭癌と向き合うホメオパスのサポート手記13 叔父のこうきさんは75歳。   高知の村で一人暮らしをしています。   2019年6月に咽頭癌と診断され、8月に手術を受けました。   姪の私が仙台からサポートをしています。 ふんどしくらい持っているさ こうきさんは、どんな人? 癌治療を受けないと言ったことから、こうきさんへの印象が変わりました。 遠く離れてますが、入院準備を手伝いたいと思いました。 こうきさんの性格からして病院から説明されるであろう入院準備の物を無視しちゃいそうな予感がしたからです。 私「手術用の下着とか、買って送ろうか?」 こうきさん「大丈夫じゃ」 私「手術の時には、ふんどし(T字帯)もいるよ」 こうきさん 「ふんどしばあ、持っちゅう。海パンもふんどしも、そればあ持っちょらあよ」 「ふんどしくらい持っているさ。なんだったら海水パンツも持っているよ。それくらい当たり前さ!」 笑っちゃいました。 と同時に、40年以上前のことを思い出しました。 当時は、家から10分歩いた所に海があって 松林を抜けると太平洋が大きく広がっていました。 とっても綺麗な海なんですが、急に海底が深くなっているところがあり遊泳禁止になっていました。 それでも、こうきさんは毎夏、その海で泳いでいました。 しかも、ふんどし姿でした。 こうきさんは、自分の泳ぎにも自信があったし、人の目は気にしないから泳いでいたんだと、今なら分かります。 でも、幼かった私は、こうきさんの行動が恥ずかしくて嫌いでした。 禁止されていることをするなんて、先生(学校の)に叱られる。 ふんどしなんて、江戸時代みたいで時代遅れで恥ずかしい。 なんで、人と違うことを堂々とやるんだろう。 嫌だなあ。 と思っていました。 「人の意見に左右されずに、自己主張する」 それがこうきさんです。 何十年も、その姿勢は一貫して変わっていません。 だから、抗がん剤治療を医師から勧められた時 「抗がん剤治療を受けないと再発する場合がありますよ」 と脅かされた時にも、 「私は抗がん剤治療で弱りたくない。」 と、自己主張を曲げないでいられた。と思っています。 私が医療従事者ではなかったら、 病気の専門の医師から勧められた治療を断る勇気はなかったかもしれません。 「いごっそう」のこうきさんは、自分を生きているから応援したくなります。※いごっそうは、頑固者の土佐弁。 次回は、治療方法を選択する時に「医師に意見を聞く」についてお話する予定です。

「抗がん剤治療はうけん!」が受け入れられた日

叔父の咽頭癌と向き合うホメオパスのサポート手記12 叔父のこうきさんは75歳。   高知の村で一人暮らしをしています。   2019年6月に咽頭癌と診断され、8月に手術を受けました。   姪の私が仙台からサポートをしています。 抗がん剤での治療について 咽頭癌の全摘術したこうきさんは主治医がびっくりするほどの回復力をみせていましたが自宅生活を4日目で再入院中となりました。 こうきさんが辛い思いをしているのに不謹慎かもしれませんが、「体調を崩し、再入院してくれてよかった。」と、思っています。 理由は、『抗がん剤治療を受けない』ことを、病院側が受け入れざるを得なくなるからです。 どういうことでしょう? 手術は賛成ましたが、抗がん剤治療は、受けて欲しくなかったからです。 「手術を受けたい」というこうきさんの意思を尊重して、手術に賛成しました。 最初は、手術にも懐疑的でしたが、今は手術をして本当に良かったと思っています。 (このことは、別の機会にお話しするつもりです) 抗がん剤は、・癌を治す、効果は無いし・体力は、衰弱するし・副作用があり、体に被害が大きすぎる があるので、積極的に賛成はできません。 こうきさん自身も、手術前に治療リスクの説明を主治医から聞かされ「抗がん剤治療と放射線治療は、うけん!」と決めていました。 主治医は、こうきさんの意思を受け入れてくれて 「体力が落ちていることと、高齢(75歳)を考慮して、抗がん剤治療と放射線治療の対象外でよいです。」 このように手術前には、本人と主治医と家族である私の意見が一致していました。 ところが、手術後に主治医の治療方針が変わりました。 治療方針の変更 手術の3週間後、退院前に主治医から電話がありました。 主治医「手術の経過が予測をはるかに上回る回復力でした。」 主治医「手術前は、体力面を考慮して抗がん剤と放射線治療の対象外になると考えていました。手術後の回復が良いので、抗がん剤治療と放射線治療ををお勧めします。 私「どうしてですか?」 主治医「見える癌は、全部切除できました。しかし、見えない癌が残っている可能性があります。見えない癌への治療には、放射線と抗がん剤が必要です。」 主治医「治療を受けるには、条件が必要です。」 私「条件?」 主治医「条件は、退院後自宅で1-2週間を元気に過ごすことです。」 私「それは、どういう意味ですか?」 主治医「自宅で生活できる体力がないと、抗がん剤治療には耐えられないからです。抗がん剤治療を受けて、家に帰れない人を増やしてもダメですからね。」 私「抗がん剤治療を受けると、家に帰れなくなるんですか?」 主治医「体力がないと、そうなります」 私(・・・) 主治医「今、再発の可能性の話をするのは、ご本人にとってショックも大きいと思われるので一度、退院していただいいて、再受診の診察時に、ご説明する予定です。」 (少し猶予があるな。与えられた時間を活かしていこう!) 私「わかりました。」 【私の解釈】医師は、抗がん剤治療が患者さんを衰弱させると知っている。 治療のガイドライン(医学界の掟のようなもの)以外の治療計画を立てることは、公立の病院ではご法度です だから、「抗がん剤治療は受けさせたくない」と、この時点で私が言ってもなんの効力はないし、逆にマイナスに働くと考えました。 しかし、最近では、患者の意思が治療計画に反映されるようにもなってきました。 しかし、今の日本では、患者の気持ちが最優先される治療を受けるためには工夫も必要だと、感じています。 医療者と話合いをする時には、間合いのとり方を常に意識しています。 主治医との電話後、こうきさんに手紙を書きました。 抗がん剤治療を受けて欲しくないと思っていること、 最終的にはこうきさんの選択(抗がん剤治療を受けても受けなくても)を受け入れて応援する。 と伝えました。 このあとのことは、私の意思でどうこうできるものではないと思っているので、 私の思いは、天に放つことにしましあ。 抗がん剤治療は受けん!が受け入れられた日 退院後のこうきさんは、自分の体を労わることができなかったこともあり、炎症が起こり、4日後に再入院になりました。 これは、主治医が提示していた「抗がん剤治療を受ける条件」を満たさない状況となりました。 だから「再入院してよかった。」と、思ったのです。 主治医は、形式だけでしょうがこうきさんに抗がん剤治療と放射線治療を勧めました。 こうきさんは「うけん!」とはっきり、意思表示をしたそうです。  

こうきさんの再入院

叔父の咽頭癌と向き合うホメオパスのサポート手記11 叔父のこうきさんは75歳。   高知の村で一人暮らしをしています。   2019年6月に咽頭癌と診断され、8月に手術を受けました。   姪の私が仙台からサポートをしています。 こうきさんの再入院 9月初めに自宅退院したのもつかの間、4日後に再入院となりました。 血液検査で体の中に「炎症」が見つかったからです。 訪問看護師さんからの第一報を聞いた時、2つの相反する気持ちが湧き上がりました。 「しょうがないよね。」と「良かったね。」です。 今日は、「しょうがないよね。」についてお話します。 こうきさんが退院する時、 「退院後1週間は、家族がサポートしてあげて欲しい」 と、主治医から提案されていましたが、親戚は誰も付添えませんでした。 離れている私ができることはなんだろうと考え、消化の良いものや栄養のある食べ物を買い集め宅急便で送りました。 訪問看護師さんに相談の電話をかけて、私が提案するこうきさんのサポートを伝えつつ それらが実現できるかどうかを、細々と打合せしました。 訪問看護師さんは、さすが在宅のプロです。きめ細かい看護ケアをしてくれることになりました。 しかし、、、 主人公であるこうきさんの「心」と「行動」は私達の思いと完全に一致していなかったようです。 私としては、一命を取り留めて退院できたから「自分の体を労わる」ようにして欲しかったのです。 「病後に自分の体を労わる」ことは、私にとっては当たり前のことだったからです。 こうきさんはこれまで、一人で強く生きてきたので余り体を労るという認識がありませんでした。 退院する時点から弱った体を奮い立たせていました。 病院から自宅までの移動は、一人で電車とバスを乗り継いで2時間かかります。 健康な時ならなんてことない道のりでも、大手術後の体には結構な負担になったと思います。 私は1回きりのことだから、タクシーを使って欲しかったのです。 タクシー利用は、こうきさんの想定には入っていなかったようです。   帰宅してからも、ゆっくりと休んで欲しかったのですが こうきさんは帰宅した足で仕事に出かけてしまいました。 行先は、「村議会」 人口が3,000人の小さな村の議会。 病み上がりのこうきさんが退院後の数回分を欠席しても誰もとがめません。 外出している時間帯には、呼吸が苦しくならないようにするための、痰の吸引器が搬入される予定でした。 自力でうまく痰が出せないこうきさんには、痰の吸引器が大事な助っ人になるはずでした。 出せない痰が肺に入ってしまうと、肺炎が起こりやすくなってしまうからです。  病院からの帰宅時間に合わせて訪問してくれた設置担当者さんは、こうきさんが留守でびっくりしたそうです。   議会では、閉会時間までしっかり出席したそうです。 家に帰った時には、病み上がりの体は疲れ切ってしまっていて 水を飲む気力もなく、水を飲まないから薬も飲まずさらに食事も食べないでそのまま倒れ込むように、床にごろ寝をしたようです。   疲労は免疫を下げるし 痰は気管支にへばりついたままだし 水分不足で、ますます痰が出にくくなるし 布団なしで寝ると体は冷えてしまうし・・・ これだと風邪をひきやすくなったりして、体のどこかに炎症がおきても「しょうがない。」のです。 こうきさんは、責任感が強くて人に迷惑を駆けてはいけない。 と、思い込んでいるのだと思います。 病後には仕事に穴をあけたっていいし、のんびりしていいんだけどね。というのは、私のツブヤキです。 次回は、再入院になって「良かったね。」の理由をお話します。

目覚ましい回復

叔父の咽頭癌と向き合うホメオパスのサポート手記10 叔父のこうきさんは75歳。   高知の村で一人暮らしをしています。   2019年6月に咽頭癌と診断され、8月に手術を受けました。   姪の私が仙台からサポートをしています。 目覚ましい回復 こうきさんは、元気です! 8月8日に16時間に及ぶ大手術を受け、9月2日に退院します。 主治医は「すごい回復力ですね。」と驚いていました。 手術前は、大きくなった咽頭癌の影響で食事ができませんでした。 36㎏まで痩せほそり体力が極端に落ちたことで、手術中にトラブルが起こるリスクが高くなっていていると説明がありました。 自宅療養するににあたり乗り越えなければならないこともありますが、こうきさんは元気に回復中です。 私からこうきさんに、ホメオパシーは勧めていません。 レメディの使い方をこうきさんが理解し、使いこなすことが難しいと考たからです。 そこで、手軽に飲めて医師が推奨している健康食品を勧めました。 手術前の2週間に集中して飲んでもらったことで、手術に耐えられるくらいまで体力がついたと思っています。 順調な回復を喜んでいたのも束の間、大きな難題が圧し掛かってきました。 ”抗がん剤治療”を提案されたのです。 手術前は酷く弱っていて、抗がん剤治療には耐えられないとの診断でした。 手術後に驚異的な回復力をみせたので、それに対して抗がん剤治療計画が浮上しました。 抗がん剤治療に対して、私の気持ちは複雑です。 このことは、別の機会にお話します。