叔父の咽頭癌と向き合う手記

人と人は、助け合って生きていく

叔父の咽頭癌と向き合うホメオパスのサポート手記9 叔父のこうきさんは75歳。   高知の村で一人暮らしをしています。   2019年6月に咽頭癌と診断され、8月に手術を受けました。   姪の私が仙台からサポートをしています。 大手術について 叔父のこうきさん、16時間の大手術が成功しました。 応援していただいた皆様ありがとうございます。 現在はICU(手術後に入る集中治療室)を経てHCU(高度治療室)にいます。 面会に笑顔が出るほどに回復しています。 大手術になったワケは、癌がかなり大きくなっていて周りに広がっていたからです。 手術は2種類が行われました。 最初の癌の切除術(10時間)、後半の再建手術(6時間)です。 癌の切除術では ・癌の原発巣の咽頭(いんとう)の全部・咽頭の周りに浸潤している癌・癌が浸潤した臓器(喉頭の一部、食道の一部、甲状腺の全部)・癌が転移したリンパ節 を切り取りました。 切除術が終わった段階で、後半の再建手術に備えて輸血を受けることになりました。 切除した範囲が広過ぎたため、咽頭と食道の間が開きすぎてしまい縫い合わせることができなかったんです。 「管」を付け足すことが必要で、それには開腹して腸の一部を移植しました。 メスを入れてから分かったことは、当初の予測よりも癌の進行度が酷かったそうです。 手術の医師チームは、耳鼻科医、消化器外科医、形成外科医、麻酔科医の構成。 こうきさんの命を救いたい医師チームと医療スタッフの連携が見事でした。 ここまで導いてくださった沢山の方々に深く感謝いたします。 本当にありがとうございます。 「人と人は、助け合って生きていく」 手術には親族が1人も立ち会えない状況でしたが、運良く関西にいる姪っ子が駆けつけてくれました。 姪っ子は治療の同意書にサインをしてくれたり、手術の途中経過を逐次に知らせてくれたました。 おかげで仙台と高知で離れていても、手術の進行が把握できたので心強かったです。 親族のLINEグループ名は「応援隊」です。 今までは、親族の間で連絡をとりあうことはしていませんでした。 日頃は一見関係性が薄いように思えても、「命」に触れる時には一致団結できるものですね。 「人と人は、助け合って生きていく」ということを、体験を通して実感しました。

癌は末期(ステージ4)と分かった日

叔父の咽頭癌と向き合うホメオパスのサポート手記7 叔父のこうきさんは75歳。   高知の村で一人暮らしをしています。   2019年6月に咽頭癌と診断され、8月に手術を受けました。   姪の私が仙台からサポートをしています。 癌は末期(ステージ4)と分かった日 叔父のこうきさんは8月8日に手術を受けます。 昨日、主治医から電話がありました。 「こうきさんは、自分の病状を理解しているのだろうか?」と疑問を持ったそうです。 「家族に病状の説明をする必要がある」と判断し、こうきさんの了承を得て、私に連絡が入りました。 主治医と私で術前に話し合いが出来て本当に良かったです。 話し合いをするに当たって『医療職で良かった!』と心の底から思いました。 主治医:「こうきさんから病気のことをどのように聞いていますか?」 『切り出しから察して、私が信頼できそうなタイプの医師かもしれない』 私:「○○で、△△です」 主治医:「そうですか」 『会話の間合いや声のトーンから想定すると、こうきさんの理解度と病態にはかなりのズレがありそうだ』 私:「病名は、咽頭癌下位と聞いていますが合っていますか?」 主治医:「下咽頭癌です」(この違いについては、後ほど詳しく説明しますね。) 私:「ステージはいくつですか」 主治医:「ステージ4です」 『えーーー 咽頭癌の初期(ステージ1)だと思っていたよ』 こうきさんの場合、高齢者にはよくあることかもしれませんが、癌という病気への理解度がかなり低かったのです。 これまでの私は、こうきさんから得られた数少ない情報を元にサポートしてきました。 情報は、量よりも正確性が重要 医療職間の会話では言葉数が少なくても、専門用語を通うことで共通の認識を得られ短時間であっても正確な情報交換ができます。 得た情報を活かすためには、『専門的な経験』も必要です。 例えば、咽頭癌と下咽頭癌では病態や病後が全く変わります。 「下」の1文字が加わるだけで情報の質が格段に上がるのです。 癌において診断名と同じく病期も重要で、特に進行癌では治療方針の決定などに大きな影響を及ぼします。 病期とは、癌の進行度をステージという数字で表したのもです。 ステージには、1,2,3,4があり、数字が上がるにつれて癌が進行しています。 さらに体内に癌が広がっているか(転移)の目安にもなっています。 主治医からの説明で『診断名・病期(ステージ)』を知り、こうきさんの病態が理解できたことで 治療方針が理解できました。 当初私が想定してた”ステージ1”と正確な診断結果の”ステージ4”では、サポート内容が大きく異なり、 これから、こうきさんに合わせた新しい計画を立てることにしました。 こうきさんを通していろんなことに気づく日々です。 私の夢は、現代医学とホメオパシーが、お互いの得意なことを理解し合う現場づくりです。 「病院での治療を望むけど、自然療法や代替療法も気になる」というクライアントさんに向けて、現代医学とホメオパシーの両方を理解している私にしかできないサポートを行っていく!と、決意を新たにしました。

こうきさんには、癌チェックリストは必要ない

叔父の咽頭癌と向き合うホメオパスのサポート手記6 叔父のこうきさんは75歳。   高知の村で一人暮らしをしています。   2019年6月に咽頭癌と診断され、8月に手術を受けました。   姪の私が仙台からサポートをしています。 こうきさんには、癌チェックリストは必要ない 叔父のこうきさん先月、咽頭癌が見つかりました。 喉に違和感があり総合病院を受診したところ、精密検査で癌と診断されました。 こうきさんが病院から受け取った書類を見て、私が驚愕したものがあります。 「あなたの食道がんのリスクを調べましょう」 癌患者にこれから癌になるリスクを調べる意味はあるの? 必要ないと、私は考えます。 と言いながらも、病院の予防分野で働いていた時には、チェックリストをよく使っていました。 「リスクがこんなにあるから、生活を改めましょう」と。(汗) 病院の予防分野では、よく使う方法です。 病院は治療するところです。 癌治療の第一は、手術。 癌になった「原因」を治療するのではなく、リスクになることを続けた「結果」である癌を切除する治療です。 癌になる前に飲酒の習慣があった喫煙していたという事実は、治療方針に反映しません。 それなのに、何故、癌チェックリストを行うのでしょう? 実際に私が「このチェックやってみてどうだった?」 と聞いたところ、こうきさんに 「べつに」と言われました。 現場で働いている医療スタッフは、一生懸命に働いていて、悪気はありません。 しかし、決められた作業手順で行動する前に それが本当に必要? 目の前の患者のためになっている? と考えて欲しいなあと、と思いました。 実は、これは私が病院勤務している時には、全くなかった視点です。 今、患者の家族になり、ホメオパスの仕事をしているから見えたことです。 現代医学とホメオパシーが、お互いの得意なことを理解し合っていくことが私の夢です。 こうきさんを通していろんなことに気づかせてもらっています。 私にとって、こうきさんの病気は大切なお知らせでもあります。

「人の家では死ねん」

叔父の咽頭癌と向き合うホメオパスのサポート手記5 叔父のこうきさんは75歳。   高知の村で一人暮らしをしています。   2019年6月に咽頭癌と診断され、8月に手術を受けました。   姪の私が仙台からサポートをしています。 「人の家では死ねん」 叔父のこうきさんは生まれ育った実家の近くの借家に住んでいました。 元気な時には、「ずっとそこで暮らしたい。」と言っていました。 先月、癌が見つかり、医師から手術を勧められ、生きるために手術を決心しました。 頭の片隅では「死」を覚悟しているようです。 こうきさんが言いました。 「人の家では死ねん」 私は胸が詰まり、返す言葉を頭の中で探していました。 「引越しすることにして、家も決めた。」 『癌と診断されてから2週間しか経ってないのに、すごい決断と行動力。それにしても、人の家じゃない所ってどこよ?』 と思いましたが、引越し先は村営住宅。 こうきさんのなかでは、家の持ち主が個人か村なのかでは、大差があるようです。 借家で息をひきとると、大家さんに負担がかかる。 だから、長年の住み家を出ると決めたようです。 死について話し合う これまでも、亡くなった後はどうして欲しいかを私にだけは語ってくれていました。 こうきさんが亡くなる日はずっと先のこととして捉えていましたが、この話を聞いて、私もこうきさんの「死」を意識し始めました。 意識できていたので、死について話し合うことができてよかったです。 独身のこうきさんのお葬式はどうしたいのかお墓はどうしたいのか具体的に望みを聞きました。 『どのように生きて、最期をどうむかえたいか、最期にどうしてほしいか』 意思疎通ができるうちに、自分の言葉で、自分が望む最期を叶えてくれる人に伝えることが大切だと私は考えているからです。 もしかしたら、多くの人達は「死」の話題を避け、見て見ないふりをして「死」をタブー視しているかもしれません。 その人らしく生きるサポートができるよう、私は難治性の病気のクライアントさんに死生観をお伺いしています。 ホメオパスは人々が人生を全うするためのサポートができるやりがいのある職業です。 75歳のこうきさんのこれからの目標は、80歳まで生きることだそうです。 「大丈夫だよ。私もサポートするからね。」

癌に対して、1つのことに固守しないで、新しい選択してみる

叔父の咽頭癌と向き合うホメオパスのサポート手記4 叔父のこうきさんは75歳。   高知の村で一人暮らしをしています。   2019年6月に咽頭癌と診断され、8月に手術を受けました。   姪の私が仙台からサポートをしています。 癌の3大治療法と、こうきさんの気持ち 叔父のこうきさん 先月、咽頭癌が見つかりました。 こうきさんは、 「できるがやったら、手術はしとうない」 「でも、癌が進行するのも、嫌だ」 「癌が進行するのは嫌だ」というのは、癌患者はみんなが持っている本音だと思います。 西洋医学では、癌の治療はマニュアル化されています。 治療法は、3大治療とも呼ばれていて抗癌剤、手術、放射線による治療です。 自然療法を行う人達の中には、3大治療を悪だとして嫌う人もいます。 私は、ケースバイケースで、癌の種類、部位、進行度、体力、本人の希望などによっては、 「どの治療でもあり」 だと考えています。 こうきさんのケースでは、主治医は、最初に3大治療を提案してきました。 こうきさんは、 「治療を受けたら、助かるかえ?」 と質問しました。 主治医は、口をモゴモゴさせて言ったそうです。 「多くの人が、抗癌剤と放射線治療で苦しみます。苦しんでも、成果はあまりないです」 こうきさん 「ほんなら、俺は、それはせん(やりたくない)」 とはっきり主張しました。 消去法で、残った治療が「手術」となりました。 こうきさんの気持ちは、 『手術を受けたら、声が出なくなる。 でも、まだ、死にたくない。 だったら、手術をするのも致し方ない』 手術は、1ー2週間後の予定。 この時点で、私と会いました。 健康食品の提案 私はホメオパスです。 一番好きな療法は、ホメオパシーです。 こうきさんにホメオパシーを提案したい気持ちはあります。 ホメオパシーは、自然治癒力を使う、体に優しい療法だからです。 しかしホメオパシーを使う場合、 1ー2週間後に、医師を納得させるほどに癌を大きく縮小させる保障はありません。 だったら、どうするか? 免疫を上げる健康食品を紹介することにしました。 治療に組み込み始めた医師達がいて 一般の人で効果を感じている人達がいて 即効性があって 副作用がない(1例アレルギーの報告があったそうです) ものです。 使ってみる価値はあると思いました。 健康食品を試してみる時に条件を提案しました。 ・医師に言って、了承をもらう ・健康食品をとってみて、癌が改善するようなら、手術の延期を検討してほしい ・でも、試す猶予は長くても1ヶ月。それ以上は頑張りすぎないで、手術をうける こうきさんは、提案を受けてくれて、健康食品をとることにしました。 健康食品を摂ってからの経過 4日後 体の調子も元気になる感じがしたそうです。 内視鏡検査で、癌の病巣がきれいになり始めました。 正直なところ、私は「ほんと?」と驚きました。 医師もちょっと驚いていて 「来週に再検査して、手術日を考えることにしましょう。」 となりました。 (本当は、この日の検査で手術日が決まる予定でした) ここで、残念なことに、 健康食品が無くなってしまい、 こうきさんの元に到着するまでに5日間を要しました。 健康食品をとらない間、段々と体調が悪くなっていきました。 健康食品を再開した2日後に、内視鏡の再検査でした。 癌は健康食品をとる前と同じ状態に戻ってしまいました。 医師は手術を勧め、 こうきさんも手術を受ける決心をしました。 今日の時点で こうきさんも私も この展開に納得しています。 手術の侵襲が大きくて 衰弱したり 場合によっては死期を早めることが この先あるかもしれませんが 話し合って、考えて 尊重しあって進めたので、後悔はありません。 こうなるまでの数週間の出来事や 私の気持ち そして、健康食品のことなどなど お話ししたいことが、山ほどありますので、 これからも、投稿を続けていきます。 ※写真は、薬局でもらっていた栄養剤の用紙 健康食品のとりかたを書いてくれと、頼まれて私が書いたもの。 「ぜよ」は、土佐弁で強調を意味する言葉です。 「朝昼晩に、飲んでね!忘れないでね!頑張ってね!!」のニュアンスです

2番目のサポート

叔父の咽頭癌と向き合うホメオパスのサポート手記2 叔父のこうきさんは75歳。   高知の村で一人暮らしをしています。   2019年6月に咽頭癌と診断され、8月に手術を受けました。   姪の私が仙台からサポートをしています。 1番目のサポートで、わかったこと 叔父のこうきさん 先月、咽頭癌が見つかりました。 一番最初にサポートしたことは、 ・会いに行く・会って話を聞く でした。 話を聞いて、わかったことは、 『主治医の名前を知らない、自分が何科の患者になっているのかも把握していない。』 近所にかかりつけ医がいますが、癌の主治医は総合病院の医師です。 こうきさんは、主治医に興味がなさそうです。 これは、私にとっては衝撃的な事実でした。 こうきさんと私では癌に対する認識が大きく異なっていたからです。 2番目のサポートを考える 2番目のサポートとして ・現状を認める・情報を集める・私ができるサポートを提案する ことにしました。 電話で聞いたのは、 「咽頭癌になった。来週に手術をすると思う。」(←こうきさんもよく分かっていないのです) 数日後に会って直接気持ちを聞きました。 「できるがやったら、手術はしとうない」 電話では手術を受け入れているような印象だったので、その言葉に驚きました。 そんなこうきさんのために私に何ができるだろう? 少ない情報の中で、何をするのがいいだろう? 優先順位を立てて、 できることから1つずつ、やっていく。 これが、私の決心したことです。 行動する際には以下を意識するようにしました。 ・こうきさんの要望を第一に優先する・体への負担が少なく、ストレスも少ないサポートを行う 具体的に何をしたか 具体的には1)正式な病名を確認する2)健康食品の提案 1)病名のこと 一般の人には、咽頭癌という病名で十分なのかもしれません。 しかし、医療者従事者にとって診断名はとても重要です。咽頭癌でも複数の種類があり、 診断名が分かれば、状態や進行度予後までも予測することができます。 次の受診日は、2日後。 「医師に言って、もっと詳しく、病名を聞いてきてほしい 咽頭のどこの部分の癌なのかとか、転移があるのか、そういうのが知りたい」と頼んだところ こうきさん「よっしゃあ」 と元気よく返事をしてくれました。 2日後、 「病名、聞いてきたぞ。咽頭下位癌じゃと」 こうきさんの声は、とても誇らしそうでした。 私「転移は?」 こうきさん「それは、聞かんかった」.※現時点では、他の臓器への転移はないと私なりに解釈しました。 2)健康食品のことは、今後の投稿でお伝えしますね。.

咽頭がんの知らせ

叔父の咽頭癌と向き合うホメオパスのサポート手記1 叔父のこうきさんは75歳。   高知の村で一人暮らしをしています。   2019年6月に咽頭癌と診断され、8月に手術を受けました。   姪の私が仙台からサポートをしています。 こうきさんから、咽頭がんの知らせ 叔父のこうきさんは、高知県の村で一人暮らしをしている75才です。 先月、咽頭癌が見つかりました。 「人の世話にはならん。どうにかなるわい。」と強情な気質です。 叔父)「おまんに会いたい。喋れるうちに帰ってきてくれんか」 叔)「病気が見つかって、いんとうがん、やと」 叔)「手術をしたら、声が出んようになるそうや」 私)「咽頭のどんな癌?正式になんていう病名?」 叔)「わからん」 私)「転移は?」 叔)「病院でいろいろ検査してくれちょったけど、(医者は)何も言わんき、知らん」 私)「いつ手術?」 叔)「来週かもしれんし、もっと先かもしれん」 電話でこれ以上の状況を把握するのは、難しいと感じました。 最短で帰省できる日を選び、叔父に会いにいくことにしました。 私)「日曜日に帰るから。会う時に検査結果や病気のことが分かる書類を全部持ってきて」 叔)「よっしゃ、分かった。それはできる。」 4日後に会った時に、叔父は沢山の書類が入った封筒を差し出してくれました。 これで、病気のことが「医療の視点」で理解できる!と思いました。 ところが、中身を見て愕然としました。 医療知識がなければ、これが精一杯かもしれない 何十枚もの書類は、私の見たい書類ではありませんでした。 叔父が大切に保管していた大量の書類は、このような内容でした。 診療明細書領収書検査予約票検査説明・同意書病院の見取り図 これらの書類から把握できた医学情報は、「受診した検査名」だけでした。 私が知りたかったのは、『検査結果、正式な病名、治療方針、予後』などです。 私が知りたいというか、患者本人である叔父さえも知らないのです。 主治医から説明されているかもしれませんが、全く理解できていないし、覚えていないのです。 この状態で、来週に手術を受けるかもしれない、と言うのです。 私は、思いました。 医療の知識が無く、関心がないと、ここまでの行動が精一杯なのかもしれない。 西洋医学の道を歩いてきて、医療、介護を経験している私にしてみれば、えーーーこれって、常識でしょう。 叔父ちゃん、大丈夫?と、話をする度に、ビックリする出来事に出くわします。 じゃあ、私は姪としてどうする? どうしたい? 何ができる? できることを1つずつこなし、SOSを出している叔父を助けることにしました。 本当に、1個ずつです。 医療に不器用な叔父には、同時に2個のことは実行するのはとても難しいのです。 目の前のことを、1個ずつ対応していくようにしたら、少しずつ、変化が出てきました。

胃ろうがとれる日がやってきた

叔父の咽頭癌と向き合うホメオパスのサポート手記20 叔父のこうきさんは75歳。   高知の村で一人暮らしをしています。   2019年6月に咽頭癌と診断され、8月に手術を受けました。   姪の私が仙台からサポートをしています。 訪問看護師さんからの連絡 「胃ろうがとれることになったので、弥生に言ってくれ」 と、こうきさんからの伝言が届きました。 こうきさんの嬉しそうな笑顔が目に浮かびます。 看護師さんからは 「退院した頃は、こんなに元気になる姿が想像できないくらい弱っていましたよね。退院してから、1回も胃ろうは使いませんでした。今ではお腹に肉もついてきて、胃ろうの辺りを圧迫しています。朝晩、1時間ずつ、散歩をしたり、自転車に乗って遠出もされています。顔は日焼けして、いい色になっています。」 それを聞いて、本当によかったと思いました。 癌治療は、手術だけを選択 癌のサイズが食事が喉を通らないほどとても大きいものであったため、18時間におよぶ大手術でした。 癌を切り取ると同時に、 咽頭の周りにある器官(声帯、甲状腺、副甲状腺、食道の上の方など)も切除しました。 切除後、腸を切り取って喉に移植し、食道を作りました。そして、追加の処置として「胃ろう」を設置しました。 胃ろうとは、こんなものです。 お腹の外から胃につながる穴を開けます。 チューブを挿入し、動かないように固定します。 それによりチューブを通じて、胃に直接食事を入れることができるようになります。 食事のとれない人が直接胃に栄養を入れる方法です。 鼻からチューブを入れる方法もありますが、胃につなぐこと喉にチューブがないため、口から食べる練習や言語訓練がやりやすくなります。 私は「高齢者の胃ろう」は、一度設置したらそれを外すことは稀だと思っていたので、 こうきさんも同じだと思っていました。 退院する時はガリガリに痩せていて、身長160 ㎝で体重は40Kg。 歩くのもやっとでフラフラしていました。 今このように元気になっているのは、抗癌剤、放射線による治療は受けていないので 体へのダメージを最小限にできたのだと思います。 加えて、こうきさんの「生きる力」の大きさもいい働きになっています。 こうきさんが一人暮らしであることも、今になってみれば、いい方向に働いたのかなと思います。 サポートを受けつつも 身の周りのことを全部自分ですることになるので、 生きることへの底力のようなものにつながったのではないかと思います。 それは、病院にいて癌で亡くなった私の母には足りない力でした。 どの人も、自分がやりたいように人生を全うできることが一番の幸せだと思います。 こうきさんは、とても幸せに暮らしています。